2007年10月28日

堺の港を押さえて、一年中戦争していた

信長のすごい財力は、堺の港を押さえていたからだといわれています。

日本一、貿易で栄えていた港を支配下におけば、それは安定収入ですよね。


信長は一年中戦争していたそうですが、

その戦争に使うお金は、この堺からの収益であったそうです。

堺から上がってきたお金を使い、兵を雇い、

他国に攻め込む。ひたすらこの繰り返しだったようです。


他国からすれば、かなり嫌だったでしょうね(^^;)

一年中戦争を仕掛けられたら、他国は困ります。


なぜなら、他国の兵は、農民兵だからです。

戦国時代は、専門の軍隊ではなく、農民が戦っていたようですね。

農民兵と呼ばれた彼らは、普段は農業をしています。

それで、戦争のときだけ武器を持って闘うのです。


農民ということは、農業が忙しい時期は闘えなくなります。

戦争ばっかりしていたら、食べるものが無くなってしまうからですね。


一方、信長は、兵隊をお金で雇いますから、一年中戦争できます。

農業が忙しい時期でも、ガンガン攻めることができます(笑)


戦争で兵が死んでも、傭兵ですから、自国の生産力は衰えません。

堺からの収益で、また別の傭兵を雇えばいいのです。

他国の場合は、農民兵なので、戦争で死んでしまうと、

自国の生産力はガタ落ちになり、国力低下に繋がります。


ここが、信長が他国より常に多くの兵力を動員できた秘密なのでしょうね。

信長に有利すぎる条件といっても良いでしょう。


ちなみに、これが有名な、兵農分離と呼ばれるものです。  

Posted by sekatti at 02:24Comments(2)TrackBack(0)

2007年10月16日

信長は慎重派だった

信長は、戦争をしまくっていましたが、強敵との戦いは、避けていたようです。

例えば、軍神といわれた、上杉謙信や、騎馬隊で有名な、武田信玄など。

そういった、超が付く強敵との闘いは避けていたようですね。


親族を政略結婚に使ったりして、ひたすら戦いを避けていました。

これは勝てないと思っていたというより、今は闘わないほうがいいぜ。と、

時期を待っていたのではないかと思います。

実際、武田信玄は、信長が戦いを避けている間に寿命が来て死んでしましましたし。

武田信玄がもう少し長く生きていたら、歴史の流れは違ったものになったかもしれませんね。


まあ、歴史に「もしも」は無いですし、信長は勝てる戦いをする主義だったことは、

間違いないですね。

桶狭間の闘いは、例外なんですね。


桶狭間以降は、大軍を持って少数を叩くという、

堅実で慎重な闘い方をしていますし。


苛烈と呼ばれている信長ですが、

性格は合理的で、慎重派だったと思います。



  

Posted by sekatti at 23:18Comments(2)TrackBack(0)

2007年10月16日

尾張の弱兵は士気が低かったのでは

信長の兵隊といえば、弱かったことで有名ですよね。

「尾張の弱兵」などと呼ばれ、弱い弱いと言われていたようです。


ですが、実は尾張の兵はそれほど弱くなかったのでは?と、

主張する方もいるようです。

いや、正確には、尾張の兵ひとりひとりは、かなり弱いけど、

巷で言われているほどは弱くないというところでしょうか。


尾張の兵は、相手の兵より長~~~~い槍で戦っていましたし、

鉄砲も、他国より多く持っていました。

財力も巨大ですので、兵の数も相手より多く、大軍です。

ですから、それほど弱くはなかったのでは?と、考えています。


装備や、武器、食料、補給、そういった部分では、有利な立場にあったでしょうし。

では、なぜ弱兵弱兵と呼ばれていたかというと、

尾張の兵は士気が低かった


尾張の兵は、傭兵です。お金で雇った兵隊さんです。

ピンチになれば逃げます(笑)

「お金をもらったから仕事はするが、命まで売った覚えはねーよ!」みたいなことを言って、

逃亡した傭兵も多かったのですね。

他国では考えられないくらい、弱兵ぶりです。


他国の兵の士気の高さは分かりませんが。


それが、尾張の弱兵と呼ばれた原因なのではないでしょうか?

士気が低いので、単体ではめちゃ弱い。ひたすら弱い。これは真実でしょうけど、

全体的に見れば、尾張の軍は勝っています。


これって、戦術より、戦略の方が大事だよ~。ということなのでしょうかね。  

Posted by sekatti at 12:34Comments(1)TrackBack(0)

2007年10月13日

信長は堅実な人物だったのでは

私が思うに、織田信長という人物は、堅実な人物だったのではないかと思います。

昔読んだ本では、戦争ばっかりしていて、ひたすらに野蛮な男。

というイメージで書かれていましたが。今はその印象とは逆のことを考えてます。


信長は堅実な人物。戦争でも基本的に、大軍を持って少数を叩く。

という兵法の基本を大事にしていたそうです。

たまに、少ない戦力で奇襲をかけていたこともあったそうですが、

基本的に、大勢の戦力で押しつぶす作戦が多かったようです。


これだけ聞くとなんだか普通な気がしますが、

荒れ狂っていた戦国時代に、常に相手国より多くの戦力を持っていたのは、

信長の戦略眼というより、先のことをしっかり考えていたからでしょうね。


昔読んだ本に突っ込みを入れたいです。ほんと。

戦争ばっかりしている野蛮人っていうのは違って、優れた戦略家じゃないですか。


相手より、常に多くの兵力を動因していれば、

勝つ可能性は、圧倒的に高くなりますし。


微妙に話はずれますが、銀河英雄伝説というアニメのキャラクターで、

ヤンウェンリーが言っていたセリフを思い出しました。

相手に確実に勝つには、「相手の戦力の最低6倍は用意して、補給をちゃんとやる」だっけな?

かなりうろ覚えですが、そういったことを言っていました。

※銀英伝はめちゃおもしろいです☆おすすめ。


話を戻しますと、

やはり、圧倒的な戦力を用意すれば、勝つ可能性は上がりますよね。

大軍でも負けることはあると思いますが、同じ条件なら、

数が多いほうが勝ちそうです。


信長が天下をとれたのは、いかに有利に闘うか?を、

徹底的に考えていたからなんですね。(戦略)


なにか、裏技的なことをしていたわけではなく、

王道的なことを、しっかりと実践した結果、天下を取ったと。


なんだか、会社経営者みたいですね~。これだけ見ると。

信長は無謀な挑戦をして、まぐれ勝ちをしたわけじゃなくて、

すごい堅実な考え方をして、当然の結果として勝ったのですね。


あと、信長は会社を経営していたわけではないですが、

財力は豊富にあったみたいです。


その秘密は、当時貿易で収益がものすごかった、

堺の港を押さえていたからなんですね。

その財力は、信長の天下取りに大きな助けになりますが、

それについてはまた今度の記事で。  
タグ :貿易戦略

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2007年10月13日

信長について興味が出てきた

最近、少し時間が空いたので、信長について

勉強してみることにしました。まあ、勉強と言っても、

本格的なものではないです。


興味があったので、少し調べてみようという程度ですが。

備忘帳としての役割で、ブログに書き留めることにしました。



信長に興味を持ったのは、実は結構昔からです。

日本人なら誰でも知っているくらい有名ですしね~。

どこの図書館にも必ず置いてあるので気になってはいました。


私は歴史勉強家でもないし、信長ビギナーです。

が、最近、色々な本を読んで、その人物像に興味が出てきました。


最近読んだ本や、信長について書かれた考察サイトを見て、

昔読んだ本とかなり違う主張があり、驚きました。

歴史本って、本ごとにかなり内容が違っていることも、そうですが、

信長の人物像についても、かなりの食い違いがあったり。

まあ、私は専門化ではないので、細かい考察などはしません。


ですが素人なりに、織田信長という人物について、

思ったことを書いてみようと思います。
  

Posted by sekatti at 17:30Comments(0)TrackBack(0)